[vol.12]道の駅の挑戦! 村や町の新たな拠点づくりとは~ハバネロが特産品!? 廃校が宿泊施設!?

登壇者の畠山信さん

「しばさくらの里 道の駅ひらた」のハバネロ商品をPR

 

今回メインゲストにお迎えするのは、福島県石川郡平田村にある「しばさくらの里 道の駅ひらた」の駅長・高野哲也さんです。東日本大震災以降に生産を始めたハバネロの商品化をはじめ、道の駅から地域振興を考えられています。他地域からは、千葉県安房郡鋸南町の「都市交流施設・道の駅 保田小学校」の駅長兼校長・大塚克也さんをお迎えします。廃校となった保田小学校が道の駅へと生まれ変わり、地域内外の人々の交流の拠点となっている様子を伺います。


知らない内にバッパが作っていたハバネロ

――「しばさくらの里 道の駅ひらた」といえば、ハバネロですね。なぜハバネロを活かそうと考えたのですか?

 

高野哲也さん(以下、高野):そもそもハバネロは、平田村の特産品でもなければ伝統野菜でもありません。この地域は放射線被害がきわめて少なかったのですが、風評被害が大きくて、うちでも売り上げが大きく減少しました。ただ、お金の減少よりも、それによって農家のジッチとバッパ(おじいさんとおばあさん)の営農意欲が減退し、結果として離農につながってしまうことが一番懸念されることでした。

 

原子力災害に対して根本的な解決策は打てませんから、まずはできることからと売れ残った野菜を買い上げていました。対症療法ですが、地域振興を使命とする施設として当時はそれくらいしか思いつきませんでした。買ったものを翌日売るわけにも行かないので、とりあえず冷凍したり、乾燥したり。それを原料にして新しい商品を作っていました。

 

そんな時、これなら風評被害に勝てるかもしれないと勘違いしたバッパの一人がたくさんハバネロを作付けしちゃったんです。そして、他に2人のバッパも真似て作ってしまった。ハバネロは緑から黄色、赤と色が変わっていき、形も可愛いですからね。「これなら風評に勝てるのではないか。」という勘違いと、3人のバッパが同時に作付けするという偶然の産物です。私はそのことを全然知りませんでしたから、たくさんのハバネロが出荷されてきた時、「なんでこんなにハバネロ出てくるんだろう」と…。


ハバネロを使った商品

ところが全然売れませんでした。辛すぎて、リピーターがいませんから。先ほど申し上げたように、売れ残った野菜は買っていたので、ハバネロだけ買わないというわけにもいかず…。売れなくて不良在庫化していきました。しかしなんとかしなきゃいけないわけで、思いつくままいろいろな商品を作ったのが始まりです。今はハバネロを使った商品が10種類ほどで、メディアにも取り上げられて段々と広がりました。


商品開発会議中。中央が駅長の高野哲也さん

(正確には応募された道の駅弁当の審査中。この審査で最優秀賞に選ばれた応募作が商品化された)

――ハバネロをきっかけに、地域はどのように変化しましたか?

 

初めは3名だったハバネロの生産者が15名にまで増え、生産量もどんどん増えました。3年前、どうせだったら「日本一辛い村(自称)」を目指そうと取り組み始めました。爆発的に商品が売れるようになったのはそこからです。逆に原料が足りなくなってしまい。当初は年間200キロしか作っていなかったハバネロをどんどん増やし、今年は3トンオーバーにまでなりました。それまでバラバラだった農家がまとまることで補助事業に申請しやすいというのもあり、昨年初めて、農家を組織化して、「平田村ハバネロ生産組合」を設立しました。その流れの中、今まで道の駅主導だった栽培や新商品企画に関することがらに、農家の方が主体的に意見を言ってきてくれるようになったのが嬉しかったですね。農家の積極性・主体性が高まったという意味で、大きな手応えを感じています。


道の駅は町民のステージでありサロン

――大塚さんが駅長兼校長をされている、「都市交流施設・道の駅 保田小学校」を拠点化した経緯を教えてください。

 

大塚克也さん(以下、大塚):道の駅の名前に「交流」という言葉が入っているように、鋸南町の人々と近隣の都市の人々の交流の場になればというのが発端です。たまたまインターチェンジの目の前にある保田小学校が廃校となり、道の駅を作るのにとてもアクセスの良い位置でした。

 

廃校になったのは2014年ですが、その前から廃校後の活用方法が話し合われていました。そのなかで道の駅として活用することに最終決まりましたが、交流人口を増やしながら、人口の流入を狙うというのが最終目標なんです。


駅長兼校長の大塚克也さん

 ――地域の方と長くコミュニケーションをとってきたんですね。

 

大塚:町民は8000人足らず、昨年の台風15号(令和元年房総半島台風)の被災の影響もあり、鋸南町は現在7500人ほどに減ってしまいました。小さな町で財政も潤沢ではないので、活用方法には慎重になります。その頃(廃校前)はまだ私はいませんでしたが、地域の人々といっしょに温めてきたというところですね。


「道の駅 保田小学校」で地域の特産品を販売。Photo by Benjamin Beech

 ――地域の方と「交流」をキーワードに場づくりを行ってきたんですね。

 

大塚:ここは町民の「ステージ」だと位置づけて、運営しています。町の商業者や農家、住民の方が、ここを拠点に活躍していただければと思っています。多くの農家の方にも組合という形で加入してもらっていますし、ギャラリーや音楽室などを使って発表や交流したりする人もかなりいます。保田小学校に関わって生計を立てられる人、趣味を楽しんでいる人を含め結構な数の人が一緒にコミュニティに参加していると思います。先ほど高野さんのお話でもジッチやバッパの話がありましたが、おじいさんやおばあさんが訪れて、あんなのとれたよ、こんなのとれたよと野菜の話をするなどして生きがいが生まれているのも、拠点があってこそ生まれたものだと思います。

 

また、道の駅は避難場所としての機能も果たさなくてはいけません。鋸南町は昨年の台風で被災し、奇しくも実践の場となったのが「道の駅 保田小学校」でした。自家発電や太陽光パネルで電力が確保できたので、正式な避難場所ではないもののエアコンの効いたなかで救援物資の食べ物や飲み物、風呂を提供することができ、サロン的な場として心のケアをすることもできました。


道の駅 保田小学校内にある宿泊施設。Photo by Benjamin Beech

――お二人は、イベントには特にどのような方に参加してほしいですか?

 

大塚:鋸南町でも直面しているのは高齢化の問題で、売れているので出荷量が増えてほしいと思っても生産量が減ってきている逆転現象が起きています。かたや最近は、農業法人を立ち上げる若者がいたり、リモートで仕事できる人が住んだりという一面も出始めています。人口の流入を考えるとリモートで仕事ができる人がコワーキングスペースとしてこちらに住んでもらったり、新規就農者に空いている農地を使ってもらったりできるとよいなと思っており、そのような希望者がこのイベントに参加してくれて、結果人口の流入が増えればいいなと思います。

 

高野:そうですね。現実問題として地域の高齢化が著しく、道の駅ひらたの農家の平均年齢は今年75歳に。あと2~3年はどうにかなると思うのですが、その後は極めて厳しくなると思います。今自分たちがやっていることが、関係人口や交流人口の増加、そして定住人口の増加につながり、ひいては地域振興になるようにしなくてはいけません。ただ単におもしろがられることをやるというのでは駄目だなと。

 

私も平成6年にIターン就農で平田村に来ました。農業をするために福島に来たので、道の駅をやるとはその時は思っていませんでした。自分が就農した頃のような新規就農者はいないし、「半農半X」でいいんです。今の時代だとリモートでいろいろなことができるので、そういう人にぜひ来てほしいです。

 

また、新しい商品をいくつも出していますが、私たちはいわゆる高付加価値を付けて出すプロではありません。本来ならば「マーケットイン、プロダクトアウト」ですが、うちは逆なんです。震災後はどんな野菜がどれだけ売れ残るかなんてわからなかったですし、実際には7割8割の野菜が売れ残ってしまいました。とりあえず冷凍したり、乾燥したりしているので、マーケットインなんてできていません。格好よくいうとトライアル&エラー、スクラップ&ビルドですが、本当のところは「場当たり的」です。しかし、マーケットインでやっていると現場は持たない。だから、スタッフにも「走り続ける道の駅でいい」「転んで起き上がらなければ失敗だが、起き上がっているうちは失敗じゃない」と言っています。とはいえ、この機会に「手伝えることがあるな」「興味がある」という方に聞いてもらって、手助けしてもらえると大変ありがたいです。また、平田村は商圏人口に目を向けても人口減少が著しい状態です。マーケットを近隣や国内だけでなく海外にも広げていかないと、という危機感があります。海外で販売するノウハウやコネクションを持っている方にもぜひ聞いて手助けいただけるとありがたいです。

 

 

オンラインイベントは、11月19日(木)19:00から開催です。皆様のご参加をお待ちしております。


テキスト:泉友果子