[vol.15]日本醸造史上初の挑戦!仮設の蔵での酒造り

~津波に沈みゆく町に誓った酒蔵の現地再建~

震災復興酒「閖」

今回メインゲストにお迎えするのは、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)で酒づくりをする「有限会社 佐々木酒造店」の5代目蔵元・佐々木洋さんです。閖上は東日本大震災で甚大な被害を受け、この地で創業した「佐々木酒造店」も津波で製造設備が全壊。ほとんどの酒が流出します。しかし、佐々木さんたちは「故郷を取り戻す。もう一度閖上で酒を醸す」という思いで、すぐに復興への一歩を踏み出しました。佐々木酒造店が震災後から今に至るまで、どんな思いで酒づくりをしてきたのでしょうか。

 

後半では、日本酒の国際化に尽力する株式会社コーポ・サチの平出淑恵さんに、活動を始めたきっかけやその内容を伺いました。


地酒は「地域文化の液体化」

佐々木酒造店の佐々木洋さん

――震災で被災されて、無理だと言われた仮設での酒づくりを成功されるに至るまでの経緯を教えていただけますか。

 

佐々木洋氏(以下、佐々木):閖上は宮城県名取市の沿岸部にある港町です。日本一といわれる赤貝や、地魚のカレイ、ヒラメが有名で、最近はシラスにも力を入れています。水産加工業も活発で、笹かまぼこや佃煮といった地場産品がつくられてきました。よく魚がとれるということはお酒も美味しく飲めるということで1871年に創業したと聞いております。


太平洋に面した港町である閖上を流れる名取川

140年ほど酒づくりを続けてまいりましたが、閖上は東日本大震災で被災し、甚大な被害を受けました。私は津波が来た頃には酒蔵にいて、走って酒蔵の屋上に逃げました。

 

3月でしたので、つくったばかりの新酒はほとんど流出してしまい、製造能力も奪われました。壊滅状態で事業再建は不可能だと思われましたが、何とか復旧して、もう一度閖上の地で酒づくりがしたいと考えました。「浪の音」というお酒の名前の通り、このお酒は閖上の地でしかつくれないだろうと。それに「浪の音」をもう一度閖上でつくればストーリー性もありますし、後世に引き継ぐに値する事業になるのではないかと考えました。


瓦礫のなかから見つけ出した看板

宮城県産業技術総合センターの先生方にもご協力いただき、被災したタンクの酒を分析してもらって、「これは美味しい」と言ってもらえるタンクを探し出し、商品化しようと考えました。生き残ったタンクから酒をくみ出し、仙台市内の酒蔵に設備を借りて、震災復興酒「閖(ゆり)」というお酒をつくりました。「酒蔵はなくなってしまったけれども、佐々木酒造店は酒づくりを諦めない。必ず閖上に帰って酒づくりをする」という思いを込めたお酒です。たくさんの方々が閖上に多大なご支援をくださったため、復興へと進んで生業を復活させてきているということを発信するためでもありました。

 

2012年2月には、「復興仮設店舗 閖上さいかい市場」という被災した事業者が入るプレハブの長屋で、仮設店舗をオープンさせます。我々のような製造業は「復興工業団地」という

建物を割り当てられるのですが、その建物は壁と天井だけで、排水溝もなければ水道は家庭用のレベル。その環境でお酒をつくろうとすると、先生方からは「この環境で人の口に入るものがつくれるとは思わない」と言われました。微生物を取り扱い、湿度管理、衛生管理をしないと日本酒はつくれないものなので、プレハブでは難しいと。

 

でも、前例がないのであればフロンティアになれますよね。ここで美味しいお酒がつくれるのであれば、酒づくりの持続性・独自性・多様性を生み出せるのではないかと考え、「やります」とお伝えしました。「やるのであれば」と先生方が知見を集めてくださり、この建物を酒づくりができる環境に改造していきます。また、全国の酒蔵の皆さんに設備などを提供いただきました。

 

2012年12月に仮設での酒づくりを始めて、翌年1月に初めての酒ができあがります。初めてできた「閖」は美味しかったです。「以前のお酒よりも美味しい」なんて言われたことも(笑)。


震災前からほとんど手作業で酒づくりをしていたため、仮設での酒づくりもできるはずだという思いがあったという

仮設での酒づくりを続け、昨年再び創業の地へ

佐々木:「到底できない」と言われていた仮設での酒づくりを7年ほど続けて、2018年には「東北清酒鑑評会」で優等賞をいただくことができました。仮設という環境下でも日本酒を美味しくつくることは可能だという実績をつくれたことで、成果を残せたという実感がありました。もしどこかで被災した酒蔵さんがあったとしても、少なくともああいった施設を構築することができれば、ある程度の品質のものはつくれるし、事業を潰さなくていいという前例になったのではないでしょうか。

 

酒ってただ飲むだけじゃなくて、地元の食と合わせるんですよね。そして、酒と食を合わせると、自然と町の話が出てきます。震災復興酒としたのは、このお酒を飲むと「閖上のその後はどうなったのだろう」など皆さんが震災の話をしてくれると思ったからです。地酒は「地域文化の液体化」ということで、これは我々にしかできない仕事だなと。美味しくお酒をつくって、地元の食や生業、生活を一緒に発信しようと考えました。そのためには、閖上に戻って酒づくりをするというストーリーが必要でした。

 

閖上の方も復興が進み、綺麗な道路と電線がある状態にまでなりました。おかげ様で、昨年10月1日、佐々木酒造店は8年半ぶりに創業の地である閖上に帰ってくることができました。感無量でしたね。


100年後もお酒を飲みながら、閖上でよかったと思えるまちづくりを

佐々木:「到底できない」と言われていた仮設での酒づくりを7年ほど続けて、2018年には「東北清酒鑑評会」で優等賞をいただくことができました。仮設という環境下でも日本酒を美味しくつくることは可能だという実績をつくれたことで、成果を残せたという実感がありました。もしどこかで被災した酒蔵さんがあったとしても、少なくともああいった施設を構築することができれば、ある程度の品質のものはつくれるし、事業を潰さなくていいという前例になったのではないでしょうか。

 

酒ってただ飲むだけじゃなくて、地元の食と合わせるんですよね。そして、酒と食を合わせると、自然と町の話が出てきます。震災復興酒としたのは、このお酒を飲むと「閖上のその後はどうなったのだろう」など皆さんが震災の話をするからです。地酒は「地域文化の液体化」ということで、これは我々にしかできない仕事だなと。美味しくお酒をつくって、地元の食や生業、生活を一緒に発信しようと考えました。そのためには、閖上に戻って酒づくりをするというストーリーが必要でした。

 

閖上の方も復興が進み、綺麗な道路と電線がある状態にまでなりました。おかげ様で、昨年10月1日、佐々木酒造店は8年半ぶりに創業の地である閖上に帰ってくることができました。感無量でしたね。


佐々木酒造店の向かいにある「かわまちてらす閖上」

「閖」や「浪の音」などを買いに、佐々木酒造店に人々が訪れている

後に続く時代の人たちが閖上にいてよかったと思える町にするのが、今私が考えている仕事です。100年後も佐々木酒造店の酒を飲みながら、町の人たちに語ってもらいたいですね。

 

――イベントは特にどんな人に聞いてもらいたいですか?

 

佐々木:若い人たちです。血気盛んで生命力あふれる人たちに伝えたいですね。


杜氏である弟の淳平さんや蔵人の皆さんと

「ワインは飲むけど日本酒は飲まない人」に日本酒の価値を伝えたい

平出淑恵氏(以下、平出):私はもともとJALでキャビンアテンダントをしていました。短大を卒業して民営化前の1983年に入社したので、お酒を飲めるようになってすぐに「月に20日ほどは海外」という生活が始まったというわけです。1992年にソムリエの資格をとるもその頃に子どもが生まれ、復職後も月に10日の休みは子どもと過ごしました。そのため、ワインを飲むのは主に渡航先の海外でした。海外では「超」がつくようなワインの専門家の方とご縁ができたり、趣味でワイナリー巡りやワインショップ巡りをしたりしていました。


日本酒の国際化に尽力する平出淑恵さん

私が知り合ったワインの専門家の方々は、葡萄の栽培から醸造、流通までワインを産業全体で見ることができる人たちでした。ワインはグローバルな市場で戦っている商品です。それに比べると日本酒は今もまだ5パーセント程度しか輸出されておらず、ほぼ国内で飲まれているに等しい飲み物です。

 

グローバルに展開しているワインは、どんな僻地であっても素晴らしいワイナリーが誕生すると地名自体が世界的に発信され、そのワインを愛する人たちにとっての憧れの地となります。「このワインができたところに行ってみたい」とやってきて、ニコニコしながらお金を落とし、ニコニコしながら帰り、自分の住んでいるところにそのワインがあればまたニコニコしながら買うんですね。ベースには、ワインに対するリスペクトと愛情があり、そのワインを育んだ産地への気持ちも等しいものになっていきます。

 

その頃、JALとJASが統合して、地方路線を飛ぶようになります。私も地方に訪れるようになって、20時に真っ暗になってしまう商店街や、1時間に1本しか電車が通らない場所に生まれて初めて行きました。政治家が地方の疲弊について言及している意味がわかりましたね。

また、象徴的なのが娘の小学校の運動会でした。私が小学生の頃は校庭に溢れんばかりに生徒がいましたが、娘の運動会の時には小学生が少しと、取り囲むように観覧する父、母、祖父母たち。これを見て、急に人口は増えないし、子どもたちが私たちを支えるのは無理だと実感したのです。

 

どうすればいいかというと、日本に、特に地方にどんどん人を呼んで、お金を落としてもらわないといけないのだと。ちょうどその頃、京都の蔵で搾りたての大吟醸を飲む機会があり、「日本酒もワインと同じような可能性があるのではないか」と気づきました。日本酒をワインのように世界のお酒にすれば、世界中から日本の地方に人がやってくるのではないかと。それが、日本酒の国際化の活動を始めた一番の動機です。

 

――どのような活動をなさっているのですか?

 

平出:日本酒を世界の酒にするためには、ワインと同じように啓蒙活動が必要です。(1)世界に通用する体系的なプログラムをつくってプロを育成し、(2)プロによるコンペティションで品質のいいものを世界に発信し、(3)それをプロモーションし続けるという、3つの活動を始めました。JALに勤務していた時から活動を始めて、世界最大のワインのコンペティションに酒の部門をつくったり、世界最大のワインの教育機関に酒の資格講座をつくってもらったり、「酒サムライ」というアンバサダーを生み出す仕組みをつくるのに協力しました。


世界最大のワインコンペティションの審査会を、知事の主導で山形県に誘致した

会社に勤めながらだと活動に限りがあります。JALが破綻したときに希望退職に応募して、小さな会社をつくりました。たまたま翌年に「國酒プロジェクト」(*1)が始まりまして、主幹である国税庁だけでなく、すべての省庁が日本酒に関われるようになりました。その時に日本酒と地域活性化をからめて活動している人があまりいなかったので、政府の方々の振興活動に協力するようなこともありました。

 

*1 「ENJOY JAPANESE KOKUSHU(國酒を楽しもう)」プロジェクト

 http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/npu/policy04/archive12.html

 

――イベントは特にどんな人に聞いてもらいたいですか?

 

平出:それはもう、普段日本酒を飲まない人ですね!日本酒は日本にとって宝ですが、多くの人がそれを知らないことが勿体ないと思っています。日本にもともとあるものの価値を今こそ上げていかないと、世界的な存在感もなくなってしまいます。日本人に日本酒の価値に気づいてほしいと考えています。

 

オンラインイベントは、12月22日(火)19:00から開催します。皆様のご参加をお待ちしております。


テキスト:泉友果子