登壇者の畠山信さん
宮城県気仙沼市の舞根(もうね)地区で、漁師の畠山重篤さんが「森は海の恋人」を標語に活動を始めたのが1989年(平成元年)のこと。それから30年以上、植樹活動を続けています。本イベントにご登壇いただくのは、重篤さんの三男で、帆立・牡蠣の生産者でもあり、「特定非営利活動法人 森は海の恋人」の副理事長を務める畠山信さんです。
樹を植え始めて30年。そのきっかけは…
――「森は海の恋人」の活動について教えてください。
畠山信さん:「森は海の恋人」という言葉ができたのは平成元年です。当時はダムの建設問題があり、活動の半分はダムへの反対運動でした。しかし、直接反対運動をしたところで負けてしまうことは前例から見えていたんです。
父は「人を巻き込んで大きなうねりをつくりたい」という思いで、ただ反対するのではなく、漁師が山に樹を植えるという行動をとりました。時代は高度成長から自然環境の保護・保全へ。その波にもマッチしてダムの建設は白紙撤回になったのですが、樹を植える行為はそのまま続けようと。
植樹祭の様子
漁師って木材をよく使うので、漁師が樹を植えることそのものは、大昔から世界中で共通しているんですよ。それをもう一度再構築する意味もあります。年に1回の植樹祭(毎年6月開催)はどんどん参加者が増えまして……今では約1500人が参加しています。今までで合計すると3万5千本ほどは植えているんじゃないでしょうか。
今年はコロナ禍の真っ只中ということで、関係者のみで10本だけ植えました。
――震災当日について教えていただけますか。
漁師ってやっぱり船が大事なんですよ。高価ですし。船は岩にぶつかれば壊れますけど、波を乗り越えるだけでは壊れないんですね。なので、津波が来るときは沖に船を出すというのが、よくある避難行動のひとつで「沖出し」といいます。
私も震災当日に沖出しをしたのですが沖に出る手前で第一波が来てしまって、津波に船がつっこんで、エンジンが壊れてしまいました。泳いでたどり着いた気仙沼の大島が今度は山火事になり、火を消さなくてはならないと。避難している人たちに服を借りて、消火作業をしました。4日間くらいして自衛隊と交代して、なんとか帰ってきたんです。家はなく、家族は祖母が亡くなってしまったのですが、他はみんな生きていました。
気仙沼市の海岸で唯一、防潮堤がない舞根湾
――その後、舞根地区はどうなったのでしょう。
舞根は小さな漁村です。震災によって50軒以上あった民家の約8割が全壊しましたが、「我々は集団で高台移転をするので防潮堤は必要ない」という100パーセントの住民合意形成によって、防潮堤がない今の景観が保たれています。
舞根湾
震災後はいろいろな工事が入り、被災3県で多くの防潮堤が再建、新設されています。ただ工事をしてコンクリートだらけにするよりは、生き物がたくさん住めるような護岸もすでにあるので、そういうものを使ったらいいんじゃないかと。そのために、研究者といっしょに「どんな生き物がどこに住んでいて、どんなに希少なものか」というのを科学的に証明する。それを根拠に役所と掛け合って、ありとあらゆる手段を駆使しました。それで防潮堤をつくらないという形になったのが、ここ舞根集落でした。
環境の調査をしている様子
――湾は回復したと感じますか。
震災前のデータは流されてしまって、ほとんど残っていないんです。ただ、わずかに残ったデータと比較すると元のかたちには戻っておらず、別物に生まれ変わったといえます。地盤が下がっているので、地形が変わっているんですね。いまだに不安定な部分はありますし、それが何なのかはこれからも調査していかないとわからないところです。
震災後に初めて牡蠣を出荷したのは、2011年末から2012年1月です。ボランティアの方々に木を切るのを手伝ってもらったり、いろんな地域の漁師に船を借りたりして、牡蠣を養殖することができました。
――思ったより早く出荷できたんですね。
牡蠣の養殖って稚貝がないとできないんです。たまたま宮城県石巻市に被災を免れた稚貝が残っていたので、譲り受けました。
牡蠣は稚貝をいかだにぶら下げてから出荷できるまで、通常は2~3年はかかるのですが、1年足らずで出荷できるサイズに成長したんです。(それほど早い成長は)僕も初めてのことでした。震災直後はありとあらゆるものが海に流され、撹拌されて、栄養分がたっぷりの状態だったのか、一気に成長したのでしょう。
舞根湾の牡蠣
――今回のイベントのテーマのひとつは「人づくり」です。人との繋がりについてどのように考えていますか。
いろいろな技術・知識を持っている人たちとの繋がりが「森は海の恋人」の活動を支えているというのが根底にあります。震災以降は、昔接点があった方との繋がりの再構築でした。それから、その人たちの横の繋がりに派生したことで、人・技術・資金集めがスムーズにできたのかなと思います。
外部の人ってパワフルで、やっぱり優秀なんですよ。いろいろな知識も持っていますし、繋がりも濃いです。そういう方たちといっしょに「生まれ育った場所の自然環境を守ることで地域が潤う」という事例をつくりたいなと。当時は大変でしたが、震災からの復興は今思うと楽しくできたのかなと思っています。
――人々をうまく巻き込んでらっしゃる点は、たくさんの方に参考にしていただけるのではないかと思います。また、地域の未来を担う若者にもぜひ参加してもらって、何かを感じてもらいたいですね。
そうですね。学生の方々などに参加してもらうのもよいんじゃないかと思います。
畠山さんにご登壇いただくオンラインイベントは、9/10(木) 19:00から開催です。当日はゲスト登壇者に「一般財団法人 C.W.ニコル・アファンの森財団」の大澤渉さんを迎えて配信いたします。皆様のご参加をお待ちしております。
テキスト:泉友果子